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フリッツ・クライスラーが、じつに個性的な美しい音色を持っていたことは、周知のとおりです。

 クライスラーの演奏に批判的なハルトナックですら、「二十世紀の名ヴァイオリニスト」の中で、それは皆が言うように間違いなく「黄金の音」である、と認めています。
 もちろん彼は同時に、どんな料理にも同じ金色のシロップの味付けというのはいかがであろうか、という、あるヴァイオリニストの酷評を紹介することを、忘れてはいませんけれども。

 その音色そのものは、主として、クライスラーの用いたヴィブラートに由来するものと思われます。そして、クライスラーが、「常に」ヴィブラートをかけていた、ということは、各文献で共通に指摘されています。
 しかし、今日、ヴァイオリン演奏には不可欠の技法として定着している、このヴィブラートの使用は、イザイ以前は、それほど表だったものではなかったのです。そして、イザイをさらに発展させて、絶えず濃厚なヴィブラートをかけるクライスラーの手法は、当時においては、まさに革新的なものでありました。
 「ヴァイオリン演奏の技法」では、次のように説明されています。引用しますと、
いわく「旋律線において重要だと思われる音にだけ、この特殊な表現の付加物、即ちヴィブラートをかけたヨアヒムやサラサーテの時代は一体何処へ行ったのだろうか。クライスラーは、明らかに最も無味乾燥と思われるパッセージにさえ魂を入れるという原則を、ある種のヴィブラートによって擁護するのである。そして、このヴィブラートは、本来の音と離れがたい統一体に融合されるのである。」と。
 ただし、フレッシュは、このやり方を、クライスラーならではの個性であると賛美しながらも、別な箇所で、一般論として、ヴィブラートは、「必ず高められた表現への欲求の結果としてのみ用いられなければならない」と、念をおしています。

 クライスラーが、手、腕、指の、どのヴィブラートをおもに使用していたかは、よく分かりません。
 「二十世紀の名ヴァイオリニスト」では、手を中心とする幅広いヴィブラートを使用した、ように記述されていますが、レコードから確認できる、その音の「響き方」や「音の通りの良さ」から推測すれば、けっして手だけのヴィブラートではなかったことでしょう。余人にはまねのできない、手と腕と指のヴィブラートの絶妙なコンビネーションから、生み出されたものではなかったでしょうか。

 さらに、クライスラーは、演奏会での曲目を、少なくともその直前に練習することを、好みませんでした。それはつまり、良くも悪くも、彼の演奏は、常に「即興的」であったということです。
 かりにまったく同じ曲を弾いているとしても、かけられているヴィブラートの質や程度、又かける場所さえも、けっして予定されたり計算されたりしたものではなく、その会場の雰囲気や体調によっても、微妙に変化していたことでしょう。もちろん、クライスラーは、それを良いことと思いこそすれ、けっして失敗だとは思わなかったでしょうが。

 クライスラーが、速いパッセージ (曲中のひとかたまりの構成部分) に対して、ほんとうにヴィブラートをかけられたか、ということも、しばしば問題になるようです。
 おおむね、いろいろな文献上では一様に、かけていたと記述されていますが、あるプロの方は、音程の把握の確実性がいちじるしく損なわれるために、それは不可能であろう、と言われます。あるいは、無理にかけたとしても、効果のほどは疑問だろう、ともおっしゃいます。
 アマチュアの私が結論付けられる問題ではないのですが、私は、次のような理由から、全盛期のクライスラーなら可能だったのではないか、と思います。

 その理由の一つは、「フリッツ・クライスラー」に紹介されている、次のような実験結果です。
 それは1916年のこと、クライスラーの「中国の太鼓」のレコードを解剖するとして、蓄音機の回転数を1/3に落とし、彼のヴィブラートを検証したところ、そのヴィブラートは、ほかのヴァイオリニストよりはるかに速かっただけでなく、速いパッセージにおいてすら、音程のゆれを確認できた、というのです。
 もう一つの理由は、単なる私の想像によるものですが、まず、速いかどうかは、あくまで、主観的なものだと思うからです。
 おそらく通常、客観的には、クライスラーは、あのハイフェッツほど速くは弾いていないでしょう。しかし、だとすれば、もしクライスラーがハイフェッツと同じ俊敏さを持ち、さらに内的にその必要性を感じるなら、彼にとって「ゆっくり」弾く部分にちゃんとヴィブラートをかけることは、さして困難なことではなかったのではないでしょうか。

 

 

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