=スウェデンボルグの詳細の目次(リンク)=その生涯思想の特徴霊能の事例その生涯(続き)壮年期幸い、エマニュエルが出版した「哲学・鉱物学論文集」は、ヨーロッパの多くの国で大好評でした。 この出版の翌年、父親イエスペルが亡くなり、さらにその翌1736年の初秋のこと、四十八歳のスウェデンボルグは、あいまいな理由づけのまま長期の休暇をとり、ひそかに解剖学を学ぶために、パリにおもむきます。この留学も、結果的には四年にもわたる、長期のものとなりました。 どの時点からそのような興味がわき起こっていたのか、あるいは、どこにその必要性があったのかは、よく分かりませんが、この頃発表された彼のいくつかの小論文からも、すでに彼が、それまでの持てる知識を統合して、その問題にたいするある程度の理論をまとめ上げていたことが、はっきりと見てとれます。 なお、このような霊魂説は、別にスウェデンボルグの完全な独創というものではありませんでした。その種の学説は、すでにずっと古来から、繰り返し発表されていたもので、それらの中でも、スウェデンボルグの今回の行動の直接の動機となったのは、1734年に触れたであろう、医学者ホフマンや、心理学者ウォルフの学説であったらしいとされています。 ともあれ、こうして留学を実現させた彼は、パリはもとよりイタリア各地で見聞を広め、研究に没頭し、最後にアムステルダムに滞在して、ここから「エコノミー("霊の世界の体制"とでもいう意味だそうです)」を出版したのです。彼が、一応の目的をはたしてスウェーデンに帰国したのは、1740年の晩秋、五十二歳のことなのでした。
ところで、この留学で、スウェデンボルグは、このような所期の成果とはまったく別の、もう一つ大きな、初めての体験にぶつかっています。 それは、まだ旅行のごく初め、「エコノミー」を執筆し始めた頃のことで、1736年8月にアムステルダムに宿をとっていた時のことだ、とされています。 もしこれを、単なる幻覚ではないとして、現代の研究成果にもとづいて解釈するとすれば、次のように考えることはできるでしょう。つまり、たとえばヨガなどの実践おいても、精神を高度に集中し、かつ呼吸を止める
(訓練されたヨガの行者では、小一時間ほども止めたままでいることが可能といいます) と、色々な光が見えてくる、ものなのだそうです。 さて、この光のビジョンに加えて、これもいつの頃からか不明ですが、スウェデンボルグは、「自分のこれからの出来事を教えてくれる夢」を見るようになった、と回想しています。これは、何年にもわたって体験させられたことで、物事が実際に起こるより以前に、夢の中でそれを知らされていた、というのです。 あまりに明晰な頭脳を持った、科学者としての彼は、それらの体験を、かえって自ら、理解や説明することができず、自分は、気が狂ったあるいは気が狂うのではないか、と長い間煩悶し、狂気のテストの方法すらいくつか考案して、「繊維について」という書物の中で、それの紹介までしています。ちなみに、1743年に刊行されたその本は、先の「エコノミー」の第三巻にあたり、人間の神経組織を科学的に解析した労作となっています。 なお、スウェデンボルグは、この出版の準備などで、1743年夏から翌年にかけて、ふたたびオランダやイギリスのあちこちに滞在しているのですが、その前後
(正確には1743年7月~1744年10月) の、日々の自らの夢の内容を、赤裸々かつ詳細につづった、ある日記を残しています。
この「夢日記」の時期、スウェデンボルグは、昼間は、友人たちとのこれ迄どおりのつきあいや、研究活動などで、ごく「ふつうの」生活を送っていたのですが、夜の眠りについてからは、なんとも説明のつかない奇妙な体験を、頻繁に重ねていたようです。 彼は、夜中、夢の中にいるともなく覚醒しているともなく、しかも「夢」での行動や状況をすべて、はっきりと自覚することができたので (その記録が、「夢日記」そのものなのですが)、自分でも、このような種類の眠りをどのように呼んだらよいか分からない、と書き記しています。 具体的には、異常な震えにおそわれた後で、大きな音が起こり、それとともに、ある来訪者が現れ、彼らにかかわりのあるいろいろなビジョンが現れる、というものでした。そのビジョンは、スウェデンボルグの表現によれば、たいてい「神の国」のありさまで、訪問者の中には、天使や聖人がおり、1743年のアムステルダムでの体験では、キリストその人すらもたしかに混じっていた、といいます。 私は、キリスト教徒ではありませんし、もちろん霊能者でもありません。さらに、記録として残された「夢日記」にしても、ごく断片的にしか読んでいません。したがって、スウェデンボルグのいう「神の国」やキリストのビジョンにしても、それを目の当たりにしたときの、彼が感じたであろう至福の想いのようなものを、そこへ自分を感情移入させることができません。また、自分自身の「感覚」として想像することすらも容易ではありません。つまり、それらが、どれ程、彼に深い意味を持ったかを、ほんとうの意味では、理解することができないのです。 その後、彼の研究のテーマは、微妙に変化したようです。それは、これまでの「霊魂はどのような仕組みで動いているのか」ではなく、「そもそも霊魂はなぜ、またどのような目的で存在するものなのか」という方向への、視点の変化だったかも知れません。 一方、彼の変化は、その著書として、すぐに具体的な形を取り始めていました。その書物は、1744年終わりころに完成したとされる、「神への賞讃とその愛」というものです。この中で、スウェデンボルグは、世界の創造とアダムとイブの創造を題材にして、それを、あくまで比喩的にではありますが、これまでの「聖書」とはまったく違った、独自の物語に組み替えている、とされます。 さて、スウェデンボルグは、「夢日記」の終わり近くでは、彼が踏みこんだその不思議な世界に、いろいろな種類の「霊魂」がいることが分かった、と書き記しました。それはつまり、彼がここで初めて、「霊界」なるものの実在を確信した、ということでもあったのでしょう。そして、「夢日記」はまもなく中絶することになりますが、やがて、もっと自発的ではっきりとした目的を持った、霊界の探訪旅行の記録である 「霊界日記」 が、書き始められることになるのです。これについては、彼の霊的思想の特徴の別項で、少し触れてあります。
(続く) |
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