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その生涯

思想の特徴

霊能の事例

思想の特徴(続き)

霊的思想の特徴

スウェデンボルグが報告してくれた、霊界のありさま (おもに「霊界日記」の記述をいいます) については、皆さま大いに興味がおありかと思います。

 しかし、そのすべてをここでご紹介することはできませんし、また、読みやすい入門的なダイジェスト版が各種出ておりますので、是非そちらをご参照ください。この霊的思想の特徴の末尾に、参考文献もあげておきました。
 ここでは、霊界の特長的な雰囲気を、いくつか、ごく簡略にお伝えしようと思います。

 

1.死によって肉体から離れた霊魂は、今まで通りの意識を持ったまま、すぐに精霊界に入ります。そこには、人間界でいう時間も空間もありませんが、永遠に続く状態の変化のようなものや、心理的に把握される距離感 (広がり) などはあるようです。

 

2.精霊界でのありさまはというと、少なくとも最初は、この世に存在していたときとほとんど何らの変わりもないのですが、やがて、外面的ないっさいの虚飾 (たとえば、この世で後から付加された、道徳的自制心なども含まれます) がぬぐい去られて、素 (す) の霊そのものになります。
 霊には、根っからの悪しき存在から、たぐいまれな高貴な存在まで、まるで「生まれつき」とでもいうような、いろいろな「霊格」があるということです。

 

3.良き霊のところには、霊格に応じ、いろいろなレベルの天使がやって来て、天国への準備教育を受けるために、その次のステージへと誘われます。
 しかし、悪しき霊は、「悪しき」ことに自ら目覚めないかぎり、改めて教育を受けることもなく、そのまま、彼らにふさわしい「社会」に引きつけられていってしまいます。彼らのこの社会を、この世の言葉で、「地獄」といいます。
 つまり、地獄とは、何らかの罪を犯した者たちが償いをするために、悪魔なり鬼なりの獄卒によって、強制的に収監される場所ではなく、悪しき霊だけが寄り集まる、自然発生的な社会なのです。したがって、地獄では、悪と悪がぶつかり合っているため、未来永劫、苦痛や悶着が絶えることはありません。
 ちなみに、霊界では、この世ほど自由には、自分の居場所 (上で述べた社会のことです) を選ぶことはできません。類は友を呼ぶのたとえどおり、似たような霊格の霊同士が、それぞれ一つの社会を作って存在しているのです。
 ただし、このような故郷としての居場所とは別に、霊の時々の微妙な状態の変化 (次の項目にもあるように、これは、霊格じたいの変化を意味するものではありません) によって、一時的に居場所が移動したように思われることもあるようです。

 

4.ここで、霊の居場所が変わるといっても、霊は物質的な存在ではないので、この世の意味での空間的な行き来がある、ということではありません。
 霊たちを結びつけたり離したりするのは、じつは彼らの持つ考え、あるいは彼らの持っている状態そのものなのです。考えたことが、ないしは状態の変化が、そのままその通りになる (ここでは、居場所の変化をもたらすことをいいます) のです。
 この辺りを、スウェデンボルグは、このように述べています。
いわく「霊の世界では自分の眼前に誰かがいたらいいなと本気に願えば、その人物は彼の前に現われる。なぜなら、彼は相手を自分の考えの中に見、自分を相手の状態の中に投じるからである。逆に彼は自分が相手と合わないなら、その合わない程度に応じて離れる・・・。この世界では一つの場所に数人の霊が一緒にいる時、彼らは状態が一致している限り眼前に見え、一致しなくなれば姿は消える。(「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用)と。

 

5.霊界の霊は、霊格に応じて、それぞれの周囲に、独特な空気 (雰囲気) のようなものを漂わせており、それをスウェデンボルグは、霊の 「天球」 と名づけています。
 霊の行くところにかならず付いて回るこの「天球」のために、良し悪しなどを含めたその霊のすべては、ほかの霊から、たちどころに見破られてしまうのです。しかもその「天球」は、時に、オーラなどで目に見えるように表示されることがあり、天使には天使にふさわしい、えもいわれぬ輝きの天球が、そのほか自惚れな霊には、それに見合ったような「自讃」とでもいう天球が、影のように霊に添って、現れてくるのです。
 また、「天球」は、においの形で発散されるときもあり、邪悪な霊は、明らかにいやなにおいを発するといいます。ところが、地獄の霊は、むしろこうした悪臭の「天球」の方を好み、天国的なよい香りに触れると、かえって気分が悪くなって、その場から逃げ出したりするものなのだそうです。

 

6.霊界では、考えというものを、映像ないし絵画的イメージ、として把握することができます。これは、前に、科学的思想の特徴の末尾の、記憶のところでもちょっと触れたとおりです。
 このため、霊界では、霊同士の考えを、言語を用いて伝達する必要はないのです。ある霊からほかの霊に、なにか話したいことがある (伝達したい考えがある) とき、その考えは、イメージとして一瞬のうちに、すなわち現代的に表現するならば、ちょうどテレパシーのようにして、相手に伝達されます。

 

7.さらに霊界では、霊の持っている気持ちや考えが、物質界であるこの世以上に、はるかにストレートに、ほかの霊や自分の周りの状況に、投射されてしまいます。
 投射というのは、時々の考えにふさわしい、それなりの「物」 (イメージ) が創り出され、目に見える形として、そこにあたかも実在しているかのように具現される、霊界での独特な働きのことなのです。しばしば、悪霊が、その本性のゆえに「陰湿な場所」にすみ、天使が、その高貴さのゆえに「明るく輝く衣服」を身につけている、といったことが観察されるのも、この投射の結果といえます。
 スウェデンボルグは、あくまで見かけに過ぎないこの投射のことを、「相応」 と呼びました。彼は、これを次のような言葉で説明しています。
たとえば、見かけとしての地獄の風景 (町並みや住まいのありさま、家具、そこに棲息する動物や植物などをいいます) は、「彼らの悪の愛から生まれ、自らその姿を彼らの眼前に現わすような欲望に相応したものにすぎない。(「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用)のだと。

 

8.霊界と物質界であるこの世との間でも、この 「相応」 の原理が働くことがあるとして、スウェデンボルグは次のようなことを主張します。
 それは、「それ自身が霊的なものである霊的実質を持ったその時だけの"幻想"も、もし地上のそれと同質、あるいはそれと相応するものに出会えば(「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用)、この世で形を持った物質になりうる、ということなのです。
 彼は、まず、霊界でのある体験談を紹介します。
 すなわち、ある時、霊界で二人の霊が議論しました。一人目が、人間界での大自然は、太陽などのエネルギーを使って、それ自体が新しい種や卵を創出する力を内に持っている、と主張しました。
 これにたいして、二人目は、創造主ともいうべきある存在が、大自然の中に、これらの物質を創出する力を送りこんでいるのだ、と主張します。そしてさらに、その正しさを証明するために、かつて地上では見られなかったような美しい鳥を、一人目の前に現出させて見せたのです。その鳥は、どこから見ても生きた鳥としか思えないほどにリアルなものではありましたが、あくまで、ある天使の愛着 (考え) に相応した見せかけに過ぎず、いったん天使の愛着が消滅すれば、たちどころに、二人の目の前からいなくなってしまったといいます。
 この体験が元となって、「巨人・スウェデンボルグ伝」の記述をそのまま引用すれば、スウェデンボルグは、「相応」について、次のような結論を得ました。
いわく「どんな動植物を生み出すのにも、自然は何の役目もしておらず、これらはみな霊的世界から自然の中に流れ入っているものによって生み出されていると確信」でき、「この鳥ももし地上の相応する物質によってすべての細部が満たされるならば、それによって鳥は地上の鳥と同じように物質化されたものになり、永存するものにな」るのである。もちろん、「これらの形態もいったん地上でスタートすれば、種や卵というやり方で自然に繁殖のコースをたどり続ける」のではあるが、と。
 要するに、スウェデンボルグ流にいえば、鶏と卵のどちらが先かという例のナゾナゾについては、かならず鶏が先に霊的な世界から送り込まれる、という答えになるわけなのです。

 

(続く)

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