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その生涯(続き)
初老期
スウェデンボルグがいつ頃から、「霊界の住人」、つまり天使を初めさまざまな霊魂と、自由に話ができるようになったかは、おそらく1745年の早い頃からであったらしいこと以外、はっきり分かってはいません。
しかし、この世を後にして来た、いわゆる死者の霊魂と会話を始めたことについては、五十七歳の終わり頃の回想で、1745年4月中旬以降のことであるとして、彼はこう書き残しているそうです。
いわく「天国にいる人とはこの世の自分の家族と話すのと同じように話し、それがほとんどいつも続けてできた。(「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用)」と。
なお、彼が、霊魂の不死を信じていたことは間違いないとしても、死者の魂との再会をことさら望んでいた、とされる明確な根拠はなく、おそらく故意にそうしたわけでもないのでしょう。
また、かならずしも、あの有名な伝説
(1745年4月、スウェデンボルグは、ロンドンで突然、ある"人物"の訪問を受け、その霊体から、それ以降に霊の世界で見聞するであろうことを人々に伝えるように、との"使命"を与えられたという伝承です)
通りに、特別な指示のもとに、突然そのような能力が付加されることになった、というのでもないかも知れません。
けれど、スウェデンボルグが、間違いなくこの世に属する、それも理性にあふれた人間でありながら、同時に、霊界にも入り込んで、自らも霊の一つとして、霊たちに交じって話をすることができたという事実にたいして、これはいったい、どのように解釈すればよいのでしょうか。
現代においても、それはまったくの謎として、諸説紛々なのです。・・・単なる失神症患者である・・・。擬似幻覚に過ぎない・・・。幼児期への退行をともなうパラノイアである・・・。エディプス・コンプレックスの表出の一形態であろう・・・。創造性をあわせ持った分裂的精神病のケースに違いない・・・。むろん、結論は出ていません。しかし、最終的に誰がどのように説明しようとも、あるいは説明できなくとも、スウェデンボルグにとって、霊との会話は、まぎれもなく、彼のリアルな「体験」そのものだったのです。
「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用すれば、彼は言います。
いわく「他人と話している時、私は彼らとちっとも違わないように話している。だから私が以前の私とは違ってしまったとも、他の人々と私が違っているとも、誰も気づかない。それでも私は、人々と一緒の時に彼らと話をしながら、同時に霊とも話をしていることは時々あるのだ。(中略)その時私が何かの思いに心を奪われているのだという以上に、人は何も気づかないものなのだ。」と。また、このようなことも述べています。
いわく「世間的な事柄に心を強く奪われている時、たとえば金銭の必要、その日書かねばならない手紙のことなどを考えている時、私の心はその間、そこに縛られている。だから自分で肉体的な状態にいるのを感じ、したがって霊も私と話すことができなかった・・・霊は、世間的あるいは肉体的なことに心を強く奪われている人間とは話ができないのが、私にはよくわかる。なぜなら、肉体的なかかずらいは心の考えを引きもどし、それを肉体的なことの中に沈めてしまうからだ。」と。
また、話をしたのがほんとうに霊であるのか、という自分自身の疑問にたいして、それが霊であることは、「彼が手や胸で私に触れる時に、私の体の中をそれが本当に通り抜けてしまったという事実によってわかった。また、触れられた感じは、起きている状態の時と同じように感じられた。」というように、その体験を書いています。
一方、この1745年頃も、スウェデンボルグは、以前となんら変わりのない監査官として職務に精励しており、その後二年間にわたり、病気で十一日ほど休んだだけである、と記録されています。
また、同じく1745年の冬には、生涯の住処として、ストックホルム郊外のゼーデルマルムに、静かで見晴らしのよい庭付きの家を、手に入れてもいます。彼の同僚たちですら、彼の驚くべき内面の変化には、露ほども気がつかなかったのです。しかし、1745年春以降の彼は、いまやはっきりとした使命感を持ち、着々と作業を進めていました。
彼が最も力をそそごうとしたのは、彼の表現を借りれば、聖書を「霊的」に解釈し直す、という作業でした。スウェデンボルグの私的日記である「霊界日記」は別に考えるとして、1749年に刊行された最初の「天界の秘儀」から、最晩年の1771年に刊行の「真のキリスト教」に至る、これ以降のなんとも膨大な量の書物は、すべてこの目的だけに添った、神学的な結実なのです。
しかし、彼はほんとうに、それらを一人で書いたのでしょうか。いや、実際の問題として、それだけのものを、一人で書けるものでしょうか。
この疑問に答えるかのように、スウェデンボルグは次のような意味のことを言っています。これは、自分だけが書いたのではない、じつは霊が書いたのである、と。
これは、どういうことかといえば、彼が「書いた」中のあるものは、じつは彼の意志にかかわらず、インスピレーションとして、急に外から彼のところへやって来て、彼の手を勝手に動かして、「書かせた」ことを述べているのです。彼は、この事情をこのように表現しています。
いわく「私はまったく書かなかった。いな、霊も言葉を口述しなかった。彼らはただ完全に私の手を支配した。だから書いたのは彼らなのだ。(「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用)」と。
現代的には、この現象は、「自動書記」と呼ばれており、いわゆる霊媒など、人格分離が可能な特殊な人間の手を通じて、霊の世界からメッセージを送ってくるもの、と理解されています。彼は、すぐれた霊能者としてあまりにも有名となりましたが、同時に、すぐれた霊媒でもあったのでしょう。
スウェデンボルグに初めてこの現象が起きたのは、ゼーデルマルムに引っ越してまもなくのことであった、とされます。もちろん、彼の時代には、そのような自動書記の知識はなかったようで、彼は非常に驚きますが、半面、その体験が彼に、別な確信をも持たせることになったのかも知れません。つまり、「自動的」に書かれる内容が、たとえ自分自身が理解に苦しみ、それまでの常識や知識からは、まったく受け入れがたく思われることであっても、それゆえにこそ、霊的な意味での「真実」なのだ、という確信です。そして、神の国とも通じている霊界が、彼をあいだに立てて、人間界に啓示を与えようとしている、と理解したのです。
そのため彼は、勝手に書かれる内容について、少なくとも最初の頃は、何らの疑いも抱かなかったようです。彼によれば、当初、彼に書かせたのは、幼児たちの霊が多かったといい、そのせいもあるでしょう。
しかしやがて、いろいろな姿の「霊」がやって来て、彼の手に書かせたといいます。その中には、たとえば、聖書に登場するイサクだとかアブラハムだとか名乗る霊、などからのメッセージもありました。現存するスウェデンボルグの草稿では、自動書記の筆跡は、彼ほんらいの筆跡とは似ても似つかないものであるうえ、彼に書かせる霊によってもはっきりと違っている、ことが分かっています。
やがて、霊媒スウェデンボルグは、著作としてまとめて行くに当たり、単なる「書記」として、霊の伝える「真実」を無作為に取り入れることにたいして、疑問を感じはじめます。彼の目指すところは、ほんとうの神そのものからもたらされる、「真実」や「啓示」のメッセージだけを、人々に伝えることだったからです。
こうした必要にかられて、彼は、霊たちの「本性」をテストすることを始めました。後に書かれた「霊界日記」では、しきりに「私はたずねた」と出てくるようですが、その中には、彼が霊の身元をチェックするために、誘導尋問として行っているものもある、とのことです。スウェデンボルグによれば、霊界にも、ほかの霊のふりをするよからぬ霊が、間違いなくいるのだそうです。
さて、彼は、まもなく1747年夏、周りから見ればまったく突然に、監査官を自ら退任し、気ままに外国と自国を行き来する、隠居のような生活に、早々と入ってしまいました。スウェデンボルグ五十九歳のことで、これ以後死ぬまでの二十五年間は、もっぱら、この著述作業に明け暮れることになるのです。また、同じ年の暮れからは、個人的な霊界の探訪記録である、「霊界日記」をつけ始めたといいます。これもまったく公表を目的としたものではなく、彼の死後、出版されました。
(続く)
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