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その生涯

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霊能の事例

その生涯(続き)

晩年期

1748年から1759年頃まで、つまり六十歳から七十一歳頃までのスウェデンボルグについては、これといって目立ったエピソードはなにも、伝えられてはいません。

 外国でいろいろと見聞を広めていたほかは、帰国すると、ゼーデルマルムの家で庭いじりによく精を出していた、といいます。
 しかし彼は、けっして世捨て人ではなく、社交もほどほどにこなしていましたし、以前通りの貴族院議員でもあって、議会にたいして、時宜にかなった提案書なども積極的に提出しています。もちろん、彼の生涯をかけての仕事は、聖書の霊的解釈や、霊界の実相を人々に書きのこすことにあったわけですが。

 この期間に出版された神学書としては、おもなものでは、1749~1756年の「天界の秘儀」および、その抜粋編といえる1758年の「天界と地獄」があり、そのほかには、やはり1758年の「最期の審判」などが知られています。
 しかし、スウェデンボルグは、彼の心の中での絶対的な確信にもかかわらず、あえて世間にアピールして、聖なる予言者になろうとしたのでもなければ、新しいキリスト教派の教祖になろうとしたのでもありませんでした。加えて、彼が生きたその頃は、宗教的な異端にたいして、いまだヒステリックな制裁が、現実に起こりうる時代でもありました。
 彼の著作は、ラテン語で書かれ、しかもイギリスなどの外国で、まったく匿名のまま出版され、スウェーデン国内では、長く人目に触れることがありませんでした。また、彼の新しいこれらの著作は、当時の人々から、さほどの評価は与えられなかったともいいます。そして、最終的に、スウェデンボルグが、ふたたび自らの名前を明記して、神学の新著を発刊したのは、さらに十年ほどたった1768年のことで、じつに、彼が亡くなる四年ほど前のことだったのです。

 

1760年、つまりスウェデンボルグが七十二歳になってまもなく、彼は、以前とまったく違った意味において、世間の注目を浴びることになってしまいました。

 最初は、ごくささいな暴露的なうわさに過ぎなかったものが、またたく間にストックホルム中に広がったといいます。
 それは、「今まで、あれほど知的な数々の業績を残し、また社交上もなんら問題のなかったスウェデンボルグが、あの年になって、とうとう発狂した。なぜなら、彼は、"あちら"にいる死んだ連中と友達になって、自由自在に話をするだけでなく、天国や地獄などにも、出たり入ったりしているらしいから。」といったものでした。しかも、本人がそれを、おおむね肯定したため、人々はますます当惑を深めました。

 もともと、スウェデンボルグは、自分の霊能力を、公に披瀝するつもりなどはまったくなく、彼の霊界との接触の事実は、ほんの限られた人々や、必要にせまられた場面の中で、ごく断片的に、証明されていただけでした。しかし、たびかさなる「証拠」の前に、いつしか噂が生まれ、それがこの頃になって、一気に広がったというわけなのです。
 それ以降、スウェデンボルグは、八十四歳で亡くなるまで、人々から、まともな正気の人とは、かならずしも見なされていなかったようです。しかし半面、その霊的能力については、だれも半信半疑ではありながら、常に好奇な関心の対象であり続け、その手の「占い」を希望する人々で、門前市をなすようなことさえあったといいます。

 後にはまた、匿名で外国で出版されたおかしな神学書を、じつはスウェデンボルグが書いたものであることも、明らかになりました。改めてそれらに目をとおした、スウェーデンの学識者といわれる人たちでも、聖書の新解釈、ことに、「最期の審判」が何回もあり、じじつ最近1757年に行われた審判のようすを自分はちゃんと見た、と著者が主張している点などについては、はなはだ理解に苦しんだのでした。(先にも申しましたように、聖書に不案内な私には、この辺りのことはよく分かりません。)
 当時、彼の最も好意的な友人ですら、スウェデンボルグに、そのような説は、けっして本気で言わない方がよい、と心からなる忠告をしています。「巨人・スウェデンボルグ伝」から引用すれば、友人の一人は、たとえばこのようなことを言ったそうです。
いわく「君の素晴らしい著作のなかに、君自身が死後の霊的世界で見聞してきたといっていることなどは入れないほうがいい、"無知な者たちの笑い種にしかならないからだ"。」と。これにたいして、スウェデンボルグは、はっきりとこう答えました。
いわく「自分は、霊的なことがらをいい加減な気持で扱うほどもう若くはないし、自分の永遠の幸福のことを真剣に考えているので、世間の愚かな考えに従う気にはとてもなれない。自分に啓示されたものはすべて本当のことであり、それは私が霊界で見聞したものによって啓示されたのであって、想像力が生み出したものなどは一つも含まれていないのだ。」と。

 なお、ここでスウェデンボルグが述べている、霊界での見聞の実例は、じつに多方面に渡るため、皆さま、「霊界日記」などでご確認いただくしかないのですが、彼の有名な霊視に限っては、霊能の事例についての別項でも、少し触れてありますので、そちらをご参照ください。

 

七十代の半ばにさしかかっても、スウェデンボルグの使命感は、少しも衰えるところを知りませんでした。

 彼は、スウェーデンと外国とを精力的に往来して、啓蒙のための神学書を、次々と出版しました。
 彼が霊界を探訪できる不思議な人だ、ということは、自国スウェーデンでは、もうだれもが知っていました。また、彼が主張し始めていた宗教理論は、従来のカトリックやプロテスタントのどの宗派の教会の立場からも、そのままは受け入れがたいものでしたが、それが為に直接に、異端として迫害を受けることはなく、彼が過度に心を悩ませることも、もう必要ないように思われました。ただ、一部の聖職者たちは、スウェデンボルグを狂人として精神病院に収監するよう、貴族院議員たちに、具体的な働きかけを行っていた、とされています。

 やがて1768年には、彼の新著は、実名で刊行されることになりました。その書物は、「結婚の愛」と呼ばれるもので、発売とともに、ヨーロッパ各国で当時大好評となっただけではなく、今日においても、スウェデンボルグの代表的著作の一つと位置づけられています。
 この書物の中で、スウェデンボルグは、天界にも、結婚もあればセックスもある、という意味のことを主張しています。むろん彼は、それを想像によって記述したのではなく、彼の見聞にもとづいてそのように結論づけ、まとめあげたわけです。
 特長としては、その中でスウェデンボルグは、天界の「結婚」相手は、この世でのいわば戸籍的な「結婚」相手と、かならずしも一致はしないこと。この世の独身者も、天界で「伴侶」を得る場合があること。さらに、愛人関係を含めた、いろいろ複雑な実相をもつこの世の男女関係が、天界では、どのような扱いないしは報いを受けるかということ。などを、ケースごとに細かく観察し、報告している点があげられるでしょう。
 この書物は、幸い、日本語訳も出ておりますので、興味のある方は、一読されることをおすすめします。ただし、視点の根本にはキリスト教の思想があり、また、男性から見た女性という、スウェデンボルグの時代の社会通念からくる基本構図をとっていますので、現代の読者には、やや理解しがたい面ないし納得できない点も、あれこれあるかも知れません。

 なお、ある人が、独身であったスウェデンボルグに、彼の天界での「伴侶」は誰かと尋ねたところ、彼は迷うことなく、それはこの世ではジッデンボルイ伯爵夫人 (前に、「若年期」の余談のところでお話ししたエリザベートのことです) と呼ばれていた人である、と答えました。この女性は、夫に先立たれた後、1769年に亡くなったといいますが、スウェデンボルグがその名前をはっきりと口にしたのは、もちろん、エリザベートの死後のことです。

 「結婚の愛」に続いて、おそらくやはり1769年、スウェデンボルグは、あまり目立たない二つの小著を刊行しました。その一つは、「新教会の教義概説」というもので、この中で彼は、今日「ニュー・エルサレム教会」と呼ばれる、独自の新教義を展開しているそうです。これは事実上、後で出版された「真のキリスト教」の導入部を形成するものなのですが、内容の是非を含め、詳細は私にはよくは分かりません。
 また、もう一つの書物は、「霊魂と肉体の関係」と題されたもので、これは、以前に送られてきていた、大哲学者カントからの質問に答えるものとして著されましたが、若いときから取り組んできたこの問題にたいする、スウェデンボルグの一応の結論と考えられ、私に分かる範囲で、彼の霊的思想の特徴の別項で、少しご紹介してみました。

 続いて、スウェデンボルグは、1771年夏、「真のキリスト教」を、アムステルダムで刊行します。彼が、八十三歳の時のことでした。この内容については、「巨人・スウェデンボルグ伝」の著者によって、次のように紹介されています。引用しますと、
「これは自分で出版した最後の著作になったもので、新教会の教義の概論であると同時に、それまで研究してきて結論に達した、現世、地獄、天国、霊の世界、それぞれの他界へ人間が導かれていくための行為など、すべての概論ともなるべき著作であった。」。つまり、キリスト教徒としてのスウェデンボルグの信念は、すべて、この書に凝縮されているのでしょう。
 ふだん温厚で寛容であったスウェデンボルグが、その一点だけはけっして譲らなかったといわれる、新教義の内容の「正しさ」。しかし、同時に彼は、世間の人々がそれを理解しないであろうことを、よく承知していました。彼は、率直なところどれほどの人たちが彼の教義に心を寄せていると思うか、と尋ねられて、この世で五十人、霊界でもやはりそのくらいだろう、と答えたとのことです。

 

スウェデンボルグには、自分に残された時間があとわずかであることが、分かっていました。

 この世での、おもな役割を果たし終えたスウェデンボルグは、1771年夏、「真のキリスト教」の出版を済ませるとすぐ、そのままロンドンに向かいました。旅行先での滞在場所は、前からよく利用していた、床屋の経営する下宿屋で、そこで彼は、この書物の改訂を少しずつ試みていたといわれます。しかし、その年のクリスマスの頃、意識障害を伴った、半身の麻痺におそわれます。
 やがてそのまま年が明けて、三週間ほどした頃、ようやく意識も戻って、彼は小康状態を得ることができました。しかし、麻痺は残り、八十四歳の誕生日を迎えても、もはやベッドから起きあがることはできなかったのです。ただ、こんな中でも、スウェデンボルグはけっして退屈しなかったことでしょう。というのも、見舞いに訪れた友人たちは、彼がよく、目に見えない者たちと熱心に話をしているのを、目撃していたからです。

 1772年3月29日、スウェデンボルグは、以前自らが予告した通りの日に、ロンドンの片隅で、下宿屋のおかみと女中だけにみとられながら、まるで「水を一杯飲む」ような何気なさで、この世から霊界へと、「住居を移し」ました。
 そして、客死したロンドンの地にそのまま埋葬された彼のなきがらは、その後一世紀半ほどたった1908年、ふたたび祖国スウェーデンに、国家としての儀礼を尽くして引き取られた、と伝えられています。

 

参考文献(外部リンク):

書名 著者/訳者 出版社/出版年次
巨人・スウェデンボルグ伝
(科学から霊的世界
までを見てきた男)
サイン・トクスヴィグ著
今村光一訳
徳間書店
1988年

霊感者スウェデンボルグ
(その心理学的 ・
心霊科学的探究)
ウィルソン・ヴァン・
デュセン著
今村光一訳
日本教文社
1990年

巨大霊能者の秘密
(スウェデンボルグ
の夢日記)
エマニュエル・
スウェデンボルグ著
今村光一訳
叢文社
1982年

 

 

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