=クライスラー小史/その生涯 の詳細の目次(リンク)=

修業の時代

青雲の時代

飛翔の時代

失意の時代

円熟の時代

静謐の時代

静謐の時代

 

1941~1962年

六十六~八十六歳(死去)

交通事故で瀕死の重傷を負った後、奇跡的な楽壇復帰を遂げるが、七十五歳頃をもって引退する

 クライスラーは、1941年晩春、ニューヨークでトラックにはねられ、頭蓋骨骨折の瀕死の重傷を負います。彼は、意識不明のまま病院に運ばれ、一週間ほど昏睡状態のままで、ようやく危機を脱出したのは、ほぼ一ヶ月も経ってからのことだったのです。
 頭部に損傷を受けたため、聴力と視力に、はっきりとした後遺症を残し、さらには、彼の記憶の一部すらが失われたといいますが、回復途中で最も懸念されたのは、演奏のための音楽的な記憶が果たしてどの程度の影響を受けたか、でした。
 それを試すため、ハリエットはあるテストを行います。
 クライスラーが、ようやく病床に起きあがれるようになったばかりの頃、彼女は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第二楽章を弾いて聴かせてほしい、と頼みます。クライスラーは、愛器グァリネリウスとの再会を懐かしむように眺めていた後、ごく普段のような調子で、弾き始めました。しかし、そこから奏でられる音符は正確で、彼の独特の演奏スタイルも、音色の暖かい感触も、いささかも損なわれてはいなかった、と伝えられています。
 その後、順調に快復したクライスラーは、事故の翌年に行った、いくつかのレコード録音やリサイタルをとおして、公にも、なお健在であることを立証することができました。彼が、昔の自分に戻ることができたことは、まさに奇跡としか言いようがないと、当時の批評家は述べたそうです。
 1943年、長年の親友のラフマニノフが亡くなると、クライスラーの演奏活動に、ちょっとした変化が生じました。それは、彼が、その後まもなく、初めてラジオ出演したことです。
 もともと、クライスラー自身は、ラジオという音楽の伝達手段に、懐疑的でした。また、亡きラフマニノフとの間で、どちらかが生きている間はラジオでは演奏しない、という申し合わせもありました。彼のヴァイオリニスト仲間ですら、ラジオは、良い演奏のために欠かせない、芸術家と聴衆の間の人間的な交流を阻害しこそすれ、けっしてもたらすことはない、といって忠告しました。
 「フリッツ・クライスラー」では、このように述べられています。
つまり「彼らは、クライスラーのもっとも優れたレコードでさえも、彼を彼たらしむるもの、すなわち、筆舌につくしがたい彼の人間性の魅力と魔術だけは伝えることができないと指摘した。クライスラー"体験"を真から味わうには演奏会のステージに立つ彼に接する以外にないと、彼らは口をそろえて言う。」と。
 それでも、クライスラーは、健康上の問題、戦時下という特殊な世相、アメリカの片田舎の多くの愛好者からの依頼、などを理由にあげて、1944夏、ラジオデビューを行っています。
 ラジオ出演は、結局、その後も時々行われ、とくに、1949年の冬には、仏領赤道アフリカの診療所でクライスラーの演奏に耳を傾けた、昔の友人のシュヴァイツァー博士から感謝の手紙が届けられ、感激したとのことです。
 話がいくらか前後しますが、クライスラーが七十歳になると、彼は引退を勧められます。
 しかし、彼にとっての無上の喜び、つまり人前で演奏して聴かせることの喜びを、完全に押さえきることはできなかったようです。1947年冬に、ショーソンの「詩曲」などを弾いて、カーネギーホールでのお別れ演奏会をもよおし、一応の区切りをつけた後も、1950年頃までは、地方公演にすら出かけていったのです。
 この引退の前後、クライスラーは、現役時代と同様に、慈善事業にも相変わらず熱心に取り組んでいました。度重なる世界大戦で疲弊したヨーロッパの窮状を救うため、夫妻は、預金の多くを投げ出したといわれます。
 さらに、演奏活動そのものでの収入が、以前のようには期待できないため、クライスラーは、四十年にわたって蒐集してきた、彼の貴重な蔵書を競売にかけ、救援物資を購入する費用にあてました。それは、1949年初頭のことで、その売却総額は、十二万ドルにもなったそうです。
 寄付のために長年のコレクションを手放すにいたった、彼の動機は、次のように、要約されています。
「こういう本が手に入ったのも人々のおかげですから、目的を果たしたあとは人々のもとへ返すべきです。(「フリッツ・クライスラー」から引用)と。
 なお、この蔵書の中で、次の二点だけは、金銭に換えることなく、アメリカ国会図書館に寄贈されることになりました。それは、七千ドルで購入したという、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の原譜と、亡き友イザイから譲られた、ショーソンの「詩曲」の原譜でした。
 ともあれ、ヴァイオリニストのクライスラーは、このようにして、楽壇を去りました。
 彼の引退の直前に掲載された、クライスラーの芸術について寄せられた次の批評の言葉は、その後すでに半世紀以上が経過した現在でも、なおすこぶる、真実をうがっているように、思えてなりません。
 少し長いのですが、ここに、「フリッツ・クライスラー」から、そのままを引用させていただきます。
 「名声を乞い願う演奏家たちの非常に多くが流れ作業の列から生まれてきた観を呈する、驚異的に発達した技巧と音楽的効果の時代である今日にあって、クライスラーの演奏に耳を傾けるわれわれには無上のさわやかさが感じられる。そして彼が引退を決意するとき(彼はすでに七十歳を越えている)、音楽解釈の世界から美しく高貴な何かが失われるであろう。」

 クライスラーが、ニューヨークで、その波乱に富んだ生涯を終えたのは、1962年1月29日のことでありました。

 

 

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