=クライスラー小史/その生涯 の詳細の目次(リンク)=

修業の時代

青雲の時代

飛翔の時代

失意の時代

円熟の時代

静謐の時代

飛翔の時代

 

1899年

二十四歳

ベルリンでソリストとしてデビューし、イザイに認められ、最初の名声を手にする

 1899年の12月、ついにクライスラーは、ニキシュ指揮のベルリンフィルハーモニーと、メンデルスゾーンの協奏曲を協演して、当時、音楽家たちがメッカともあこがれていた、ドイツの首都ベルリンでの、デビューを果たすことになります。
 このデビューは、パトロンの一人の、ある裕福な実業家の、まったくの好意によってお膳立てされたもので、デビューにいたる二年間ほどを、クライスラーは、まるでその家族の一員のような暖かい世話をうけたり、演奏会用のストラディヴァリウスを貸してもらったり、あれこれ援助を受けることができたのです。
 この実業家の長男は、自身の観察として、当時のクライスラーの署名の仕方からも、「クライスラーが弓を完全に端まで使っていたことが(「フリッツ・クライスラー」から引用)うかがえるという、あるエピソードを寄せており、この時期のクライスラーの演奏スタイルについての、大変興味深い教示を与えてくれますが、その真偽のほどはさだかではありません。
 なお、練習ぎらいで有名なクライスラーも、さすがに、このパトロンの家族の手前、そうも言っておれず、客間を借りて、一応真面目に、練習に励んだということです。
 さて、デビュー当日、クライスラーにとって大変幸運であったのは、前の晩ベルリンでの自分のリサイタルを終えていたイザイが、たまたま当夜は、クライスラーの演奏を聴きに来ていたことです。クライスラーの演奏が終わると、
「イザイは大きな身振りで椅子から立ちあがり、激しく拍手をしてくれました。その度量のある態度に私は深く感動し(「フリッツ・クライスラー」から引用)たと、回想されています。
 当時ヴァイオリニストの王とも尊敬されたイザイの、このような賞賛は、当然、クライスラーへの好意的な批評を助けるものでもあったでしょうし、こうしてデビューは成功しました。
 これを契機として、おいおい二人は親交を深め、のちイザイは、自分の作曲した無伴奏ヴァイオリンソナタをも、クライスラーに献呈したとされています。
 イザイとクライスラーとの関係は、その後、三十年ほども続き、ある時は、コンサート前日に急病になったイザイの代演として、クライスラーが、リハーサルなしに、しかも借り物のヴァイオリンで、ベートーヴェンの協奏曲を弾き急場をしのいだ、とのエピソードも残されています。また、イザイは、亡くなる直前、ショーソンが彼に献呈した「詩曲」の自筆原譜を、形見としてクライスラーに贈ったのです。
 クライスラーの次の言葉は、イザイにたいする彼の思いを述べたものですが、同時に、クライスラーが、ヴァイオリン芸術をどのようにとらえていたかの、貴重な示唆も含まれているように思われますので、少し長いのですが、そのまま「フリッツ・クライスラー」から引用いたします。
いわく「イザイはあるメッセージを伝えます。(中略)彼は演奏のたびごとに伝えるわけではありませんが、とにかくそれはすばらしいメッセージなのです! 自分がなんの迷いもなく固守する一定の水準にかじりついて、いかなる場合にも同じ調子で演奏する者は、凡庸な芸術家にすぎません。しかし、偉大な芸術家にはすばらしい瞬間があるのです。それらは待つに値する瞬間です。」と。

 

1900~1901年

二十五~二十六歳

各地に、演奏旅行を行う

 この後、クライスラーは、ヨーロッパ各地やアメリカなどで、精力的な演奏活動を行っています。余談ながら、クライスラーはこの頃、パリでティボーとも親しくなっていますが、これは、イザイがその仲立ちをしてくれたようです。
 ヨーロッパ大陸での活動では、中でも、スカンジナヴィア諸国を回った時の、ピアノのバウアーとのコンビが、殊の外好評であったといいます。やがて十年ほどたって、このコンビは、チェロのカザルスをも加えたトリオにも、発展することになるのです。
 アメリカでは、ソリストとしてオーケストラと協演するかたわら、チェロのジェラルディとのジョイントコンサートなども頻繁に行い、絶賛を博しました。ちなみに、この後、ピアノのホフマンを加えたトリオが結成されるのですが、このトリオは、それぞれが個性の強いメンバーであるにもかかわらず、じつに息のあった演奏であるとして、各地で賞賛されています。
 総じて、クライスラーは、祖国のオーストリアでよりもはるかに早く、アメリカ、あるいはイギリスやフランスなどで、その真価を認められていったようです。

 

1902年

二十七歳

ハリエット・リースと結婚する

 しかし何といっても、この時期のクライスラーにとっての生涯の大事件は、ハリエット・リースとの出会いと結婚、だったことでしょう。
 というのも、彼女こそが、クライスラーの幸運の女神でもあり、若いクライスラーをして後年のクライスラーにまで成熟させた、ほんとうの意味での「パートナー」といえる人だったからです。
 クライスラーは、1901年初夏、アメリカからヨーロッパに帰る途中、客船の理髪店で偶然、赤毛のアメリカ美人と知り合い、航海中に早くも婚約したといいます。その女性ハリエットは、ニューヨークの富裕な煙草商の娘でしたが、離婚経験者でもありました。
 女性の側のこのハンディにたいする、世間一般の偏見や、また、クライスラー自身に向けられた、彼女の両親からの偏見 (当時、音楽芸術家は、まともな職業とは見なされていなかったそうです。そして、ハリエットは、たえず芸術家の社会的地位を向上させることに努力し、実際その努力は、今日たしかに実を結んでいるのです) にもかかわらず、強く結ばれた二人は、翌1902年の冬、ニューヨークで挙式したのです。
 そしてそれは、クライスラーにとって、完全に正しい選択でもありました。
 因習的で控えめなドイツ系の女性と異なり、アメリカ女性の通例として、彼女は、「意志が強く、外向的で、有能で、抜け目がなく、機敏で、機知に富み、賢く、楽しい人物(「フリッツ・クライスラー」から引用)であると、描写されています。
 結婚後の彼女は、その強い個性と信念で、クライスラーの生活全般を、完全に規則正しいものに改めさせ、また、本人が苦手とする日常身の回りのことについても、クライスラー自身に代わって管理する役割を、申し分なく果たしてくれたのです。
 さらに、「フリッツ・クライスラー」から引用すれば、
「ハリエットは楽器をひとつとして弾けなかったにもかかわらず、夫の演奏、作曲、プログラムの選択に至るまで、その良し悪しや、時機にかなっているか否かについて、過たぬ感覚をもっていた」そうなのです。しかし、かといって、必要以上に表立つことはせず、「彼女が演奏会場に現れることは稀で、たいていは楽屋で夫のことを気づかいながら待ってい」た、とも述べられています。
 クライスラーの、結婚前からの音楽仲間たちが、クライスラー夫妻を次のように表現しています。いずれも、「フリッツ・クライスラー」から引用しますと、
いわく「ハリエットがフリッツを救ったことは疑いないところです。彼女が結婚したとき、フリッツはやや下り坂でした」と。
いわく「われらのフリッツがのちに偉大な人物になったとすれば、それはハリエットのおかげでしょう。(中略)パリであれ、ベルリン、ロンドンであれ、どこにいても彼女は彼に練習をさせ、彼がベスト・コンディションで演奏会に望めるようにしました。(中略)クライスラーの音楽家生活には二つの資本がありました。芸術家的な資本、すなわち天才。それはフリッツ自身のものです。もうひとつは精神的肉体的な資本で、これはハリエットがもたらしたものです。」と。

 

1903~1913年

二十八~三十八歳

精神的な落ち着きを得、多くの友人にも恵まれて、音楽家として成熟して行く

 第一次世界大戦が勃発するまでのこの時期、クライスラーは、おもにイギリスを拠点として活動しています。
 ウィーンでの再デビューを助けてくれた、同じ指揮者リヒターによって、クライスラーは、ロンドンフィルハーモニーと協演して、イギリスでのデビュー(正確には、1902年初夏)を果たします。ロンドンでは、テノール歌手のマコーマックやカルーソ、バーナード・ショウ、カザルスなどと親交を結び、エルガーからヴァイオリン協奏曲の献呈を受けたりします。
 また、アメリカ公演も、毎年のように行われ、とくに、崇敬するブラームスのヴァイオリン協奏曲を頻繁に演奏し、当時アメリカ人にはまだ馴染みのうすかったその曲を、ヴァイオリンの「定番」と見なされるまでに定着させるかたわら、自身でカデンツァの作曲を行ったのも、この頃のことだといわれます。
 そのほか、ベルリンでは、新しいホープのシゲティとハイフェッツを知り、ウィーンでは生涯の親友となるラフマニノフと出会い、イタリアでは作曲家プッチーニと意気投合したりしています。なお、お互いの風貌がよく似ていたこともあり、クライスラーは、しばしばこのプッチーニと見間違えられたといいます。
 また、この頃プラハで、零落した大作曲家ドボルザークを表敬訪問した際、部屋の片隅にうず高く積まれた、作曲の断片の山の中から、ある曲を譲り受け、それをヴァイオリン用に編曲して世界中に広めたのが、有名な「ユーモレスク」でした。
 クライスラーは、さらに、ベルリンで初めてレコーディングを手がけ、それ以降、数知れない録音を行っていますが、この新しい産業と伝達手段も、世界中に彼の名を広めるのに、大いに寄与したのです。

 

(続く)

クライスラー小史(2/6)-青雲の時代 へ戻ります クライスラー小史(4/6)-失意の時代 へ進みます クライスラー小史/その生涯の詳細 の冒頭へ戻ります