=ノストラダムスの詳細の目次(リンク)=

その生涯

諸世紀の特徴

予言の事例

諸世紀の特徴

 ここでは、ノストラダムスの諸世紀 (正式には「諸世紀」ですが、わずらわしくもありますので、これ以降は、ただ「予言」とのみ書かせていただきます) について、思いつくままにあれこれ、ご紹介してみましょう。

 

予言は、十二章に分かれていますが、その分類に特別な意味はなく、予言の記載順序もバラバラです。

 たとえば、アンリ二世の死(一章の35)とフランソワ二世の死(十章の39)とは、たった一年違いの出来事なのですが、配置されている場所は、まったくかけ離れています。

 しかしあるいは、これらの配列は、万一の場合の当局の訴追などを逃れ、身の安全を図るために、あたかも関連がないかのように、巧妙にノストラダムスによって、カムフラージュされた結果であるのかも知れません。というのも、「アンリ二世への手紙」の中で、彼はこう述べているからです。
いわく「私は天文学的推定と、そのほかの研究によって、できる限りすべての成り立ち、神の選びの日、時を計算し、よく配列したつもりであります。ですから、知恵の女神が自由に順調であるならば、過去と未来を計算し、現在という時がどういう時点なのかを知ることによって、何の訂正もなく、ここに書かれた通りに物事が発生するだろうということがいえるのであります。(「大予言者ノストラダムスの謎」から引用)と。

 

予言の詩は、ほとんどが象徴的な表現に終始しています。

 一読しただけでは、全体として、どのようなシーンを想定して書かれたものか、誰も把握することができないのではないでしょうか。
 けれど、にもかかわらず、そこに書かれた詩句は、出来事が起こった後から見ると、じつに的確に使用されていることがうなづけるのです。

 もちろん、ノストラダムスが、最初からそのつもりで作詩にあたっていたことは、「セザールへの手紙」の次の一節からも、明白なのですが。
いわく「私の予言はすべからく、"散漫な文体で"書かれており、場所、時間、あらかじめ定められた期限を限定している。後世の人びとがそれらを見て、私が他の予言についてはより明瞭な言葉で書き留めておいたとおりに、出来事が起こっていくのを悟ることであろう。というのも、この不明瞭に思える外観にもかかわらず、これらの事柄が理解できるようになるからである。(「大予言者ノストラダムスの謎」から引用)と。
 これらについて、具体的には、別項の、アンリ二世の事例をも、ご参照ください。

 

予言は、それが発生する日時が明示されていません。

 これについても、ノストラダムスの注釈があり、「アンリ二世への手紙」の中でこう言っています。
いわく「私はどの詩にも、その事件が起こる正確な時をいうことができますが、しかしそれによって喜ぶ人はいないでしょう。ですから解説も少ないのであります。(「大予言者ノストラダムスの謎」から引用)と。

 ただ、これと一見矛盾するようですが、たしかに詩の中には、年号が明記されたものがあります。たとえば、一章の48と49、三章の77(ここでは、十月二十七日という記述さえあります)、六章の2と54、十章の72と91などです。このうち、十章の72については、1999年の地球滅亡を予言したものとして、大騒ぎになったことは、まだ皆さまのご記憶に新しいところではないでしょうか。
 けれども、ここに明示された年数が、いわゆる西暦のそのままでないことは、ほぼ間違いないことでしょう。おそらくそれらは、暗号的ないしは詩的な、年号の間接的表現なのだと思われるのです。
 その理由は、あくまで私なりにではありますが、次のようなものです。

 

1.ノストラダムスが、序文で断っている以上、たとえそれがどれ程の大事件であったとしても、四行詩の「本文」に、西暦年号を明示することは、しなかっただろうと思われます。
 たとえば、やがて起こるフランス革命は、フランス人である彼にとって、霊視のアンテナに強く響いてくる、最大の関心事の一つだったはずで、それにかかわる四十編あまりの詩が残されているようですが、そのいずれにおいても、年号表現は見られません。
 ところが反対に、「序文」である「アンリ二世への手紙」の中では、まさにはっきりと、「1792年」に大迫害がある旨を、予言しているのです。この手紙の中では、さらに、第二次世界大戦に触れていると思われる「1945年」前後の変動も、予告されています。
 つまり、「本文」ではあいまいにしたものを、別の形式を借りた予言では、おそらく自分の名誉のために、ほんのちょっぴり明らかにしている、とは考えられないものでしょうか。かりにそれを明かしたとしても、その頃生きている誰にも、迷惑がかかることではなかったのですから。

 

2.一方、予言の年号の中に、ノストラダムスの死後間もなくの出来事となるであろう、1607年(六章の54)と1609年(十章の91)の、ごく接近した二つの年号が記されています。
 しかしあいにく、この年の大きな事件は起こっていません。しいて言えば、1610年のアンリ四世の暗殺が考えられますが、いずれの予言も、それを表現する内容にはなっていないようです。また、アンリ四世の暗殺に関しては、まったく別の、年号を含まない七章の17が、ぴたりと当てはまっているのです。
 したがって、ここでも、ノストラダムスは原則を貫き、人々にあえて恐怖を感じさせるようなことはしていない、ことが分かります。つまり、逆に言って、これらの年号がそのまま西暦を意味しているのではない、と推測されるわけです。

 

3.例の「1999年7月に空から恐怖の大王が降る」という、十章の72の予言については、ご承知のように当たりませんでした。
 そして、これをもって、ノストラダムスの予言全体の効力を疑問視するむきもあるでしょうが、もしこの年号がもともと西暦ではないとすれば、それで当たり前なのです。もちろん、私の解読能力では、それが具体的にいつのことかを、お示しすることはできませんけれども。
 しかし、さきほどの「アンリ二世への手紙」の中には、ノストラダムス自らが年数の計算について触れている箇所もたしかに存在しており、それらはとても興味深いヒントであるように、私には思われます。
 なお、ちなみに、この予言の内容で、「1999年の7月」と私たちはふつう思いこんでいますが、参考資料の「諸世紀」の訳文を見ていただく限りにおいては、「~の7月」ではなく、「~の7ヵ月」となっております。この違いは、かなり大きなものと思われるのですが、いったいどちらが正しいのか、真偽のほどは定かではありません。

 

(続く)

ノストラダムスの生涯(2/2)-後半生 へ戻ります ノストラダムス諸世紀の特徴(2/2) へ進みます ノストラダムスの詳細 の冒頭へ戻ります