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占いと未来
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二十一世紀が幕を開け、科学と文明の驚くべき発展のお陰で、どんなに生活が便利になったとしても、また、どんなに地球が狭くなり宇宙が近くなったとしても、そして、どんなに平均寿命が延びたとしてもなお、人は、毎日を不安を抱かずに生きることはできない、のではないでしょうか。
そして、それはつまり、「人は誰も、明日のことは分からない」、からであるように思われます。
老若男女を問わず、貴賤を問わず、貧富を問わず、人種を問わず、古今東西を問わず、人は通常、まだ起こってはいない未来の「ほんとうのところ」を、はっきりと認識することはできません。
たとえば、・・・この病気は、ほんとうに良くなるのだろうか? 今一生懸命勉強しているとしても、ほんとうに試験に合格できるのだろうか? この投資をして、間違いなく儲かるのだろうか? 恋人と結婚したいのだけれど、ほんとうに幸せになれるのだろうか? 自分は、実際は何歳まで生きられるのだろうか? やっているこの仕事は、果たして世に認められるのだろうか? 可愛い子や孫は、ずっと栄えてやっていくだろうか?・・・まさに、湧き起こる不安というものは、尽きるところがありません。
そこで、ある人々は、ついに科学や常識に見切りをつけ、より神秘的な世界、より原初的な方法を、手さぐりで前進するための拠り所にしようとします。「占い」は、そのような、残された究極の選択肢でもあります。
また、ある人々は、そのような非科学的な「占い」をはなから信ぜず、不安を心に潜めたまま、自らの信念やなりゆきに任せます。
「占い」を信ずるか信じないか。
これは、どちらが良いか悪いか、あるいは、どちらが正しいか間違っているか、という問題ではありません。あくまで、人間の精神活動の一つとして、そういう日常とは別な世界もある、というだけの話なのです。
けれど、「占い」が、たしかにある意味では非科学的であるが故に、すべてが荒唐無稽のものだとお考えになるのであれば、それははっきりと間違っています。「占い」はけっして、かならずしも、非学問的なものばかりではありません。
そして私が、趣味メニューの一品として、ここで皆さまにご提供したく思うのは、そのような学問的な「占い」の事例なのです。
もちろん私は、たんなる趣味人に過ぎません。どの「占い」の分野においても、皆さまには、それらのほんの入り口をご案内できるだけでしょう。
しかし、混沌たるこの現代にあって、皆さまが、このような「占い」の世界の実在を心のすみに留められる時、たとえそれが暗闇での一条の光明とはならないまでも、きっと何かの折のお役に立つのではないかと、密かにそう思うのです。
(
2007年1月14日
更新)
占いと未来
このお品では、「占い」を、たんなる時間つぶしや娯楽としてとらえるのではなく、あくまで、この世を生き抜くために先人から伝えられた英知、ないしは、未来を予知し結果や原因を予測するための学問、として取り上げさせていただきます。
それに先立ち、まず、学問的な「占い」にはどのようなものがありうるかをご説明し、ついで、「未来」とは何かについて、私なりの定義づけをさせていただこうと思います。
なにぶん、抽象的で退屈な前置きになろうかとは存じますが、私と皆さまとの共通認識をつくるとの意味あいもありますので、最初にざっとお目通しください。
03/10/25更新
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