=個人と現世の占いの詳細の目次(リンク)=中国占術の基本構造中国占術の系譜おもな中国占術中国占術の基本構造(続き)太陰暦(旧暦)暦には大きく分けて、太陽暦と太陰暦がありますが、今問題になるのは、あまり馴染みがないかとも思われる太陰暦の方なのです。
太陰暦(旧暦)とは 独自に編集されたものなどでの細かな相違はあるものの、中国の占術で使用する暦は、すべて、古代中国で使用された太陰暦 (ただし、正確には、太陰太陽暦を意味します)
がその基本となります。 ここでいう太陰太陽暦は、月の満ち欠けだけを基準とした最も原初的な太陰暦にたいして、二十四節気を持つことと、閏月の設定による日数調整が行われていることが、大きな特徴となっています。
さて、ご存知のように、太陽は一年かかって、黄道 (地球を中心に観測した場合の、太陽が移動する軌跡を "こうどう" といいます) 上を一周しています。というより、もともとは、太陽が黄道上の同じ位置に戻ってくるまでの周期の方を、「一年」と定めたわけですが。 ではなぜ、最初に存在した、朔望月の繰り返しだけによる時間の流れの把握とは別に、一年という、太陽を基準とする新たな周期の測定が生まれたかといいますと、それは、農耕生活が発達してくるにともなって、季節を正確に把握する必要が増大したためであろう、といわれています。 すなわち、一年という全体期間から逆に、暦月を十二区分にふり当てた場合、各月毎の太陽の位置は毎年ほぼ同じで、つまり巡ってくる季節や気候も一定となり、農作業などの目安として、大変便利なことが分かったのです。こうして、それまでの太陰暦はそのままおくとして、同時に、太陽暦的な新しい基準も、生活に取り入れられることになりました。 一方、原初の太陰暦のままですと、毎日の変遷や一ヶ月の区切りを体感的に把握するには、とても便利ではあっても、朔望月によって暦月を単純に積み重ねていった場合、もう一つの周期基準である「一年」との間に、ずれが発生することが明らかになりました。 そこで、太陰暦の利点はそのままにし、同時に、農耕上の必要から「一年」をも考慮に入れて、調整のうえ、太陰太陽暦が考案されたのです。 じつは、暦法上、この二十四節気と閏月とには、相関性があるというのですが、あまりに専門的なことなので、ここでは説明を省略させていただき、二十四節気についてだけ、簡単にご紹介したいと思います。そして、閏月は、旧暦上に明記されているものを、ご参照ください。
二十四節気は、一年を二十四等分するものですが、じつは、一年の起点をどこに置くかでも、いろいろな立場があるようです。ここではとりあえず、立春を起点とさせていただきました。
太陰暦と六十干支 中国占術では、星辰の運行に代表されるような、万物の絶えざる変化と循環の中にこそ、宿命や吉凶の原因があるととらえます。 たとえば、自分がある変化 (居場所を変えるとか、方針を変えるとかいったことです) を起こせば、それは取りも直さず、吉凶につながることになります。また、かりに自分自身は動かなくとも、自分を包む「時間」だけは勝手に変化しているわけで、そこに新しい運命の芽が宿ることになります。 そして、占術用の太陰暦というのは、その移り変わる「時間」に内包される吉凶の法則性を、普遍的かつ特定的に表現しようとしたものにほかなりません。 九宮については、前に少しご説明したとおりですが、残りの二要素である十干と十二支を暦に配置するについては、六十干支の考え方がその根本となっています。
六十干支は、もともとは、十進数を表現する十干と、十二進数を表現する十二支の、最小公倍数として考え出されたもので、六十進数を表す符号ともいえます。"甲子" "乙丑"・・・から始まって、・・・"壬戌" "癸亥" に至る六十種類の符号の詳細については、下の六十干支表をご参照ください。
そして、太陰暦では、暦日、暦月、暦年のすべてが、この六十干支の無限の循環によって表現されています。 さらに、一日の時刻が十二支で表現されていることを前にご紹介しましたが、中国占術では、この時刻をも、それが属する日に応じて、六十干支に変換できる仕組みになっています。
以上を総合すれば、過去から始まって未来永劫に至るまで、この世の「時間」の、刻々と変化する内の、ある一点の干支と九宮を特定することから、中国占術は出発しているのだ、ともいえましょう。
参考文献(外部リンク):
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