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中国占術の基本構造

中国占術の系譜

おもな中国占術

中国占術の基本構造(続き)

三つの要素

 十干と十二支および九宮(九星)の三つの要素は、特に、中国占術に欠かせない暦の中において、渾然一体の姿となって体系づけられています。

 

 

十干

 十干は、、の十種類の符号のことです。これを、もし音で読むと、頭から、こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き、となります。

 もともと、人間の両手の指が合わせて十本あることから、十進法の考えが生まれ、次いで十干が、十進数を表現する基本の単位として生まれたのでしょう。

 この十干に、陰陽ならびに五行思想を導入し、それを配当することが始められました。すなわち、陽を兄(え)と見なして「~のえ」と読ませ、陰を弟(と)として「~のと」と読ませ、さらに、木火土金水に割り当てた結果、通常は、十干を訓で以下のように読むことになっています。

兄 () 弟 ()
木 () 甲 (き の え) 乙 (き の と)
火 () 丙 (ひ の え) 丁 (ひ の と)
土(つち) 戊 (つちのえ) 己 (つちのと)
金(かね) 庚 (か の え) 辛 (か の と)
水(みず) 壬 (みずのえ) 癸 (みずのと)

 

 こうして、十干は、おもに日を数える数詞のようにして、定着したといわれます。
 太陽の回帰によって一日を知り、さらに、この十干の一巡つまり十日間を、「旬」と呼んで一つの単位としていたのです。このことは、日本でも、上旬や下旬、あるいは「旬」の食べ物、などといった言葉の中に、今なおその名残をとどめています。

 なお、「えと」という言葉は、上記のように、ほんらいは、兄と弟のことに由来する十干のことであって、日本で通常用いられているような、いわゆる十二支や干支を意味するものではありません。

 十干はまた、占術の上では、「天」を表すものとして、「天干」のように表現されることもあります。

 

十二支

 十二支は、、の十二種類の符号のことです。
 これは通常、訓で読まれ、頭から、ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い、となります。

 古代、月の満ち欠けを観測した結果、望 (満月) から次の望までを一つの単位 (これが、一ヶ月に相当します) とした場合、いわゆる一年 (後述の"太陰暦"の項をご参照ください) の期間が、毎年、ほぼ十二の区分から構成されることが分かっており、この十二進数を表現するための符号が、自然界の動物と関連づけられて定着し、十二支になったとされます。
 ただし、ちなみに、太陰暦の一ヶ月は、朔望月 (さくぼうげつ) といって、じっさいには、望を基準にするのではなく、朔日つまり今でいう新月の日から、次の朔日の前日 (これを、"晦つごもり"といいます) までの期間とされています。
 また、その一ヶ月は、いつも十干の三巡、つまり三十日間には違いないものの、じつは、一年の間にも変動があって、その長さは一定ではなく、今の時間測定法では、平均すると二十九日半になるといわれます。

 このように、暦月の表現の必要から発生した十二支は、まず月名として使用されました。
 これは、太陰暦においては、次のように対応づけられています。もちろん、該当する暦月名は、いわゆる旧暦月名 (とその和名) です。

十二支 旧暦月名  和  名
十一月 (霜月つもつき)
十二月 (師走しわす)
正月 (睦月むつき)
二月 (如月きさらぎ)
三月 (弥生やよい)
四月 (卯月うづき)
五月 (五月さつき)
六月 (水無月みなづき)
七月 (文月ふづき)
八月 (葉月はづき)
九月 (長月ながつき)
十月 (神無月かんなづき)

 

 十二支にも、陰陽や五行の配当がありますが、ここでは省略させていただきます。

 十二支は、方位や時刻を表現する場合にも使用されています。
  方位としては、たとえば、真北を中心として左右十五度ずつに振れた三十度の範囲が、子の方角となります。

 また、一日の時間も、この十二支で表現されました。
 古代では、一日はほんらい、太陽が昇ってから翌日太陽が昇るまでを意味していましたから、当然、季節による微妙な長短があり、それを十二等分したおのおのの時間も、かならずしも一定ではなかったでしょうが、今の感覚でいけば、一つの時はおおむね二時間ということになります。たとえば、子の時であれば、午後十一時頃から翌日の午前一時頃まで、ということです。
 これでいくと、昼間の午前十二時は、午の時のちょうど真ん中になるわけで、今でも、その時刻を、「正午」と呼ぶのはご存知のとおりです。これは、「正午の刻 (しょううまのこく) 」を略したものだといわれます。

 十二支はまた、占術の上では、「地」を表すものとして、「地支」のように表現されることもあります。

 

九宮(九星)

 九宮は、「くぐう」 あるいは 「きゅうきゅう」 と呼ばれ、簡略に記述されるときには、数字のようにも見えますが、演算などのための漢数字というよりは、あくまで符号の一種と考えるべきものです。

 ただし、この九宮というのは、中国古来の正式名で、日本ではふつう 「九星」 と呼ばれて親しまれており、いわゆる「気学」のような占術を通して、お馴染みの方も多いことでしょう。

 九宮は順に、一白二黒三碧四緑五黄六白七赤八白九紫、となります。
 また、これを読みますと、順に、いっぱく・じこく・さんぺき・しろく・ごおう・ろっぱく・しちせき・はっぱく・きゅうし、となります。

 この九宮がどこから発生したか、また、なぜ半端な九つなのかについては、よく分かりませんが、ここでは、参考文献としてご案内した「暦と占いの科学」の一説を、ごくかいつまんでご紹介いたします。

 

 その説によりますと、起こりは、古代に発見された、ある魔法(魔方)陣だといいます。

 下の別図を見ていただくとお分かりのように、この魔法陣では、九つの升目の中に配置された数字から、縦・横・斜めのいずれ方向の三つを取り出しても、その合計がそれぞれ "十五" になって一致しており、その神秘性のため、この数字の配置が天からの啓示と受け取られたのではないか、というのです。
 そしておそらく、その一~九の数字と、それぞれの基本的な定位置 (宮といいます) が、九宮という概念で、占術に取り入れられたのでしょう。

 この九宮の数字にも、当然のこととして、陰陽と五行が配当され、次いで七色の色をも付加されたため、今でもたとえば、一白水星 (正しくは、"水"性ですが) などと呼ばれているのです。

 さらに、五黄の位置する真ん中の宮 (これを中宮といいます) を除いて、それぞれの八つの宮が、八卦とも組み合わされることになりました。
 しかし、この結果、大変面白いことには、九宮の基本図では、上が南、下が北、右が西、左が東、に該当し、つまり一般の方位図と逆になってしまったということです。
 もちろん、九宮を活用する占術においては、今に至っても、この九宮図の配置がそのまま守られていることは、いうまでもありません。

 なお、下に、もとになった魔法陣と、九宮の基本図を掲載しておきますので、ご参照ください。

魔法陣と九宮基本図

 

 さて、天に星辰の運行があり、時というものが休むことなく変化するように、この九宮もまた無窮に変化するもの、と考えられました。
 つまり、上図の定位置から出発して、九宮の各要素は、一定の法則のもと、九宮盤上を巡行していくのです。したがって、たとえば、中宮にかならず五黄が入るとか、離宮が九紫の専用の宮であるといったことはありません。

 ところで、現代、九宮そのものが主だった役割を果たす占術は、ちょっと見たところは、意外と少ないように思われます。
 しかし、それがきわめて重要な占術上の構成要素であったことは、古来、太陰暦の年月日のところに、天干・地支と並んで、九宮 (九星) がかならず併記されていることからしても、明らかなことです。
 言い換えれば、九宮の絶え間ない変化は、運命や吉凶にたいして、間違いなくある大きな役割を果たしている、ということができるでしょう。

 九宮はまた、占術の上では、「人」を表すものとして、「人宮」のように表現されることもあります。

 

(続く)

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