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未来とはなにか

未来とはなにか

ここで、「未来」について、ちょっと考えておくのも、無駄ではないと思います。いったい、未来とは何でしょう?

 とりあえず、人類の未来と、個人(自分)の未来の二つが、思い浮かぶのではないでしょうか。

 

 まず、人類の未来は、分かりやすいと思います。

 私やあなたを初めとした個人が、その時まだ生きているかどうかは別にして、「この世(地球)」でいずれ起こるであろうこと、と考えることができるでしょう。
 もちろん、通常それは、たとえ明日の出来事であったとしても、今現在のこの時点では、どのようなものになるかは、分からないことです。

 ところが、ある予言者は、彼の「今」よりずっと先、つまり、未来を、たしかに見ている(認識している)のです。
 たとえ話で申しますと、「ずっと先の時代の何年何月何日に、大地震が起こった」ことを、その出来事よりずっと昔に、自分が見た(認識した)ままに、すでに記録していたということです。
 ここでは、地震が、起こるだろう(気がする)と予感されたのではなく、実際に起こったと認識されている点が、とても重要なのです。

 彼にとってみれば、たしかに見てしまった(霊視と言います)のですから、それは、自分が生きて存在していることと同じくらいに、これほど確かなことはないでしょう。
 要するに、こういう予言は、論理的な推測によるものではなく、いってみれば、ごくありふれた認識の所産に過ぎない、ともいえます。

 反対に、数は少ないそうですが、過去に起こった出来事や情景に自らが立ち会った人も、やはりいるそうです。
 いわゆるタイムスリップ現象ですが、彼らは、予言者という特別な人だけとは限らず、ごくふつうの人たちによる体験例の報告もあります。ただ、その場合には、彼らの発言の信憑性そのものを疑問視する向きもあって、かならずしも評価が確定していない、とも聞いています。

 それにしても、もしそれらの事実を真面目に考えるならば、いったい、「この世」の歴史としての「未来」とか「過去」とかいうものは、「現在(今の現実)」とどういう連繋を持つもので、また、その基準となっている「時間」とは、そもそも何ものなのでしょうか。

 

 次に、個人(自分)の未来について考えますと、それはせんじ詰めれば、「死」ということになります。

 学校に学び、恋をして結婚をし、社会的に名をなし、子孫に恵まれたとしても、それはすべて「死」へ至る過程にすぎません。
 その個人(自分)の未来は、人類の未来と決定的に異なり、死で終結するのです。その先に進むことは、できません。

 なぜなら、かりに魂(死後の生)があったとしても、その魂が「この世」で宿っていた今の「自分」の肉体に戻ることは、できないからです。そして、またもし、その魂が生まれ変わるとすれば、それは、今の「自分」とはまったく無縁の、新たな個人として誕生することになります。

 

 なお、関連して付け加えますと、「死」は、ある個人にとって、最初から約束され予定された「未来」の必須の出来事ですので、「人類と霊界の占い」による場合にはもちろんですが、「個人と現世の占い」の方法であっても、原理的には、その時期などを予知することができます。
 ただ、もともとが「この世」の立場に立脚した公理原則で体系づけられている、「個人と現世の占い」の方法では、たとえそれが古代からのもっとも優れた英知によるものであったとしても、やはり、この世にかかわることしか占えない、ようには思われます。
 その意味は、ある個人の「死」までは精確に占えても、ひょっとしてその前後にあるかも知れない霊界での出来事、つまり、やはりたとえ話で申し上げれば、魂が天国に行くか地獄に行くかとか、次はどのように生まれ変わるのかとか、前世は何であったのか、といったことを占うことは、できないであろうということです。

 

参考文献(外部リンク):

書名 著者/訳者 出版社/出版年次
時間の発見
(その本質と
大脳タイム・マシン)
コリン・ウィルソン編著
竹内均訳
三笠書房
1990年

 

 

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