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良いスポーツとトレーニング

歩くことその他

良いスポーツとトレーニング(続き)

c)私のスイミング事例

 ここでは、少し本題からそれるのですが、私がこの三十年間、曲がりなりにもそのようなスイミングクラブに所属し、定期的に運動してきたことを、皆さまのご参考までに、かいつまんでお話ししてみましょう。

 振り返ってみて、私のスイミング歴は、五つの段階をへて今に至っているように思われ、それぞれの段階ごとに、まとめてみました。

1) まずは泳げるまで

 恥ずかしながら、私は二十八歳まで、いわゆるまったくの 「カナヅチ」 で、一生泳ぐこととは無縁であろう、と思っていました。故郷には、長良川という絶好の清流があり、そこでの夏期の水泳スクールなどに参加したこともありましたが、どうしても 「水」 に慣れ親しむことができなかったのです。
 ところがある時、私の住む町の一角に、真新しいスイミングクラブがオープンしました。さらにそれとは別に、その二年後、マイカーを生活に利用し始めた頃から、もっと定期的な運動に励まなければ、いずれ足腰が弱って大変なことになる、と痛感するようなことがありました。

 そこで、一念発起して、そのクラブの、夜間の成人一般コースに所属することにし、優雅に泳ぐ先輩たちの片隅で、コーチの指導のもと、必死の努力を開始したのです。
 忙しい仕事のかたわら、残業をあえて他の日に振りかえてでも、週三回の練習日にはせっせと通い続け、クロールや背泳ぎなら曲がりなりにも25メートルを泳げるようになって、晴れて中級に進めるまでに、三年は間違いなくかかった、と記憶しています。

 よく途中で挫折しなかったものだと思いますが、同時に、自分には生まれつき泳ぎの 「センス」 がないのだということに、我ながらつくづくと、感心もさせられるのです。その思いは、上級の末席を汚している今でも、変わりません。

2) 四つの種目に挑戦

 中級では、平泳ぎとバタフライが新たに種目に加わり、その一応の修得には、またさらに何年もかかったように思います。
 このあたりになると、泳げる楽しさも少しずつ味わえるようになり、年末年始のクラブの休みの期間などは、習ったことをできるだけ忘れないためにと、営業している市民プールなどを探しては、わざわざ遠方まで出かけていったりしました。しかし、水に対する恐怖心が完全になくなったわけではないので、背が立たない競技用プールや海などには、一度も行ったことがありません。

 中級でもややレベルが上の方になると、同じクロールでも、50メートルが課題となり、その壁を超えるのが、また一苦労でした。こうして、中級には、たしかに、かれこれ十年は所属しておりました。

3) タイムに挑戦

 やっと上級に来ると、今度は、クロールを中心とした各種目の50メートルと、それを何本か繰りかえす長距離が中心となり、一本毎のインターバルも、徐々に短くなりました。
 与えられた距離をただ泳ぎ切るだけではなく、より速く泳ぐことも要求されました。というのも、ある程度のタイムで泳がないと、インターバル内の休憩できる時間がなくなって、本数が増えるほどに、加速度的に疲労が累積してしまうからです。最初のうちは、途中でギブアップしてしまい、何本かをパスするようなこともしばしばでした。

 しかし、どんなことでもそうでしょうが、慣れとは恐ろしいもので、休まずにクラブに通っていると、ちゃんと要領を覚えて、やがて、苦しいなりにもパスせずに乗り切れるようになりました。もちろん、どうあがいても、タイムそのものは飛躍的には向上しないのですが、マラソンとたぶん同じように、その長距離のワンセットの間の、頑張りどころと力の抜きどころなども、知らないうちに会得していくものなのです。

4) 華麗な泳ぎに挑戦

 ここでの華麗な泳ぎというのは、正しいフォームを研究する、くらいの意味だとお考えください。

 もともと、泳ぎは、決して体力だけでこなすものではないように思われます。その証拠に、一見非力な女性であっても、私などよりずっと速く泳げる人がおりますし、また反対に、私より若い方がみな、達者にバリバリ泳がれるということでもないのです。

 もちろん、競技のための選手の泳ぎともなれば、体力も若さも無くてはならないものでしょうが、たとえば健康の促進強化がおもな目的で、心肺機能の向上をはかろうとするだけの場合、クラブの翌日に体調がおかしくなる程まで、自分の体力を100%出し切ってがむしゃらに泳ぐなどは、まったく必要ないと思います。
 つまり、自己ベストを少しでも縮めるためとか、誰かと競争するためとかに、泳いでいるわけではないということです。それよりも、無駄に体力を消耗させないで、いわば 「省エネ」 で泳ぐというか、できるだけ 「楽に」 泳げることを、その目標とすべきなのです。少なくとも、私は、そのように考えました。

 そこでしばらく、初心と基本に戻ってというか、それぞれの泳ぎの最も効率的な身体の動き、つまり、泳ぎのフォームを研究したりしたものです。たとえば、テレビで選手の泳ぎを観察したり、泳ぎの解説書などを読んだりする中から、ヒントを得ようとしました。
 それが、どの程度自分の身についたかは、いささか疑問な点もありますけれど、ただ、最も合理的な泳ぎの形 (フォーム) は、また最も無駄な力のいらない泳ぎ方なのでしょうし、同時にそれは、かりに端から見ていても、最も自然で美しい、「華麗」 な泳ぎ方になるのではないでしょうか。
 その他、この時期、タイムを少しでも短縮するために、いわゆるクイックターンなどもずいぶん試みたものです。

5) 楽しく長い距離を

 そして今、私の目標は、「長い距離を楽しく泳ごう」 です。

 特別速く泳げなくてもかまわない。年相応に、上級のお尻の方にくっつきながらでよいから、もっと楽に泳ぎたい。そして、できるだけ長い距離をのびのびと、楽しみながら泳ぎたい・・・というのが、理想なのです。

 また、今まで試行錯誤して、「泳ぎ」 の原理について、自分なりに納得できたことがあります。
 それは、浮くことができ、さらに息継ぎがしっかりできれば、人はだれでも自分の好きな距離を、いくらでも泳ぐことができるという、当たり前といえば当たり前なことなのです。泳ぎは、人間にとって、ふだん立ったり座ったりするのとたいして変わらない、ごくごくありふれた運動の行為だと思うのです。

 

 たとえばまず、プールの中で、水を 「お友だち」 のように思い、魚になったつもりで完全に身体の力を抜きさります。ことさら泳ごうとも思わず、背中を上にして水面にぽっかりと浮いて、クロールの 「水平浮き("伏せ浮き"ともいわれます)」 の姿勢をとったとします。この時、手の先から足先までは一直線にのび、水面にたいして水平になっています。もし、脚が沈みやすいようであれば、お尻などにヘルパー (浮くための補助具) をつけてもかまいません。
 ここでは、この、脚ができるだけ水面と平行になっていることがことのほか大切で、もし、脚が沈んでいると、それだけで抵抗になってしまいます。実際のクロールでは、背筋力やバタ足のキックの力なども使って、この姿勢を維持していきますが、疲れるにしたがい脚が沈んで、ますます泳ぎの効率が低下し、疲れが加速されます。

 次に、その 「水平浮き」 の状態から、力を抜いたまま、まっすぐのばした右腕 (左腕) を、クロールの時のように大きく一回転させ、ついで左腕 (右腕) も一回転させます。この時、肘立てしなければとか、手のひらで水をキャッチしようとか、水をしっかり後ろに押そうとかなど、余分なことはいっさい考える必要はありません。
 しかしそれでも、身体は、おそらく確実に、少し 「前に」 移動してしまっていることでしょう。つまり、速さ (タイム) を度外視するなら、どんなに泳ぐ気がなく、まったく力を抜いた状態であっても、この腕の回転運動を繰りかえすだけで、人は自然に、先の方へ泳げていってしまうものなのです。肘立ても、水のキャッチも、つまりは、より効率的に泳ぐための副次的なテクニックに過ぎず、「泳ぐ」 そのものの必須条件ではないといえます。

 あと問題は、どのようにして、地上にいるのと同じように、できるだけ自然な呼吸を確保することができるか、ということだけです。実際には、こちらの方が習得がむつかしいのかも知れません。

 よく、クロールの初心の方に説明されているように、水の中では鼻から少しだけ息を吐くようにし、顔が水の外に出た瞬間に、口から強く 「息を吐」 いて、その反作用でまた一気に 「息を吸い」 こむというのは、私は、正しくないように思います。なぜなら、そのような呼吸法は、ふだんの自然な呼吸法からはかけ離れたものであり、かえって、呼吸をつよく意識するあまりに、その瞬間、身体に余分な力がはいってしまうと思われるからです。
 私がおすすめするのは、それよりも、泳いでいる間の呼吸を、地上にいるときと同じつもりで、鼻や口から少しずつ息を吐いていき、ちょうど空気が無くなったタイミングで、水の上にあげた口で息を吸う、を繰りかえす呼吸法です。

 泳いでいる途中でそれを無理なくおこなえるようにするためには、まずあらかじめ、次のような予備チェックをおこないます。それは、ふだん通りのごく自然な呼吸を続けながら、ちょうどクロールで泳いでいるように両腕を回してみて、左と右あわせて何回転目で息を吸うのが、自分にとって一番無理がないかを調べるのです。ふつう、二回、三回、四回などに一度というのが多いでしょうが、個人差ですので、これは何回でもかまいません。ただし、奇数の、たとえば三回に一度の場合には、実際に泳いだ場合、呼吸するために顔 (口) をあげるサイドは、たえず左右交互になります。

 自分の呼吸のタイミングが分かったら、息を吸う順番の時には、最小限、水から口があがるように、顔だけでなく上半身全体を、左または右、あるいは両方向に、少し回転 (ローリング) させるような、イメージトレーニングを繰りかえします。陸上でのこの一連の動作を、水中でもその通りに再現できれば、いくらでも長く息継ぎができる道理ですが、結局、呼吸が困難な特殊な状態に置かれているという恐怖心が勝って、正常な判断を狂わせたり、身体に余分な力が入ったりして、呼吸の動作を、ひどくむつかしいものにしてしまうのだと思います。

 なお、腕の動きと呼吸のタイミングについて付記しますと、どちらの腕であれ、その腕が肩の前方に一番遠く伸ばされた状態、つまり、真上または真横から見たとイメージして、腕が身体のラインと一直線になる瞬間、をひとつのタイミングとして、水の上に口を出すことがよいようです。この時、右腕を伸ばしたときの呼吸なら左方向に、左腕を伸ばしたときの呼吸なら右方向に、それぞれ顔を上げることになります。
 これについても、よく指導されるように、「腕で水を掻いたときに、その方向 (右腕で掻いたときは右方向、左腕で掻いたときは左方向) に顔をあげて息を吸う・・・」 との説明は、誤解を受けやすい表現だと思われます。連続動作の中では、結果的に、どちらのやり方でも、ほとんど同じタイミングを取っていることになるのですが、ほんらい、腕で水を掻くのは推進力を与えるためであって、呼吸動作を助けるためのものではないのですから。

 

 以上、私の 「理論」 が、どれほど的をえたものかは分かりませんが、ここで私がお伝えしたかったのは、まずつとめて余分な力を抜くようにすること、ふだんと違ったことをやるのだなどと身構えないこと、それが、どのレベルの人にとっても共通の、泳ぎの原理なのではなかろうか、ということです。

 もし皆さまが、速く泳ぎたいのではなく、楽に泳ぎたいのであれば、泳ごうと意識される前に、まずリラックスしようと意識される (これを逆説的にいえば、ことさら泳ごうとしない、と表現することもできます) ことを、おすすめします。そして、まったく力を抜いた状態から、自分の出しているスピードと要求されているタイムなどとを見比べつつ、少しずつ力のいれ具合を調整すればよいのだ、と思うわけです。

 

 

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